大戦後(1945年)アメリカに占領された奄美は、日本に所属することを望みました。
どうにかして日本に帰りたい、という思いが日本復帰運動です。
そして1953年12月25日奄美群島の日本復帰が実現しました。
1945年6月から1953年12月までの8年半の間
アメリカ軍政府の占領下に措かれて沖縄と運命を同じくしたわけです。
5万人といわれる人(奄美人)が沖縄に移動しました。
沖縄には仕事があったからです。
当時沖縄には働き盛りの年齢層の沖縄人は戦火で殺されて少なかったのです。
民間行政においても奄美人の参加が顕著でした。
大いに活躍をしていたことでしょう。
奄美人が沖縄と交流したのはこれがピークです。
古層では、奄美人も沖縄人も同じ文化圏でありましたが、
1609年の薩摩琉球攻略以来分断されたままで、
共通の認識、意思もなくそれぞれ別の人になったわけです。
ところが敗戦占領という状況が奄美と沖縄を結びつけたのです。
奄美が日本復帰をすると、経済的の帰れない奄美人は沖縄に残り
奄美人は日本人となって沖縄人を外国人と認識し、
また交流をしなくなったのです。
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