歴史

奄美の風景

与論島に「ヨロン駅」の謎  島に鉄道あったっけ?

鹿児島県の最南端に位置する与論島。島の西側には与論空港がありますが、空港から徒歩5分ほどの場所に駅が設けられています。それが「ヨロン駅」です。 「ヨロン駅」は駅名標のほかに、長さ5mほどの線路と車輪がひとつ置かれています。ホームを模した屋根...
歴史

「世界遺産匹敵する先史文化」

県立奄美図書館(石塚一哉館長)は20日、奄美市名瀬の同館研修室で生涯学習講座「あまみならでは学舎」の8時間目と閉講式を開き、講師から世界的にまれな先史時代に狩猟採集民のいた奄美・沖縄諸島の事例などの講話が行われた。 講師を鹿児島大学国際島嶼...
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アマミネシア Amaminesia

インドネシアの「ネシア」とは、どういう意味ですか? 『島々という意味です。つまり、インドネシアは「島のインド」というような訳になります名前を付けた頃の西欧にとってペルシアから東はすべてインドというような理解です。ちなみにミクロネシアは「群小...
歴史

「奄美」と「琉球」の旅

大戦後(1945年)アメリカに占領された奄美は、日本に所属することを望みました。どうにかして日本に帰りたい、という思いが日本復帰運動です。 そして1953年12月25日奄美群島の日本復帰が実現しました。1945年6月から1953年12月まで...
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明治23年 1890年

明治23年(1890年)5月5日 板垣退助、総選挙に備えて、愛国公党大会で自由党と大同倶楽部の合同を提唱する。 明治23年7月1日 第一回衆議院議員選挙が本州、四国、九州で実施 選挙権資格者数は約45万人(総人口3938万人の1.14%)。...
奄美の人物あれこれ

奄美の先駆者

田畑 佐文仁(たばたさぶんじ)(1676年(延宝4年)~1764年(明和元年)88歳の生涯) 龍郷町役場前国道58号線に沿って「たぶくろの碑」が建てられ、その付近一帯公園になっています。 碑たぶくろの碑 およそ300年前、龍郷町出身の田畑佐...
奄美の人物あれこれ

奄美の先駆者

大島信 (1853-1899)明治時代の官僚,政治家。嘉永(かえい)6年9月16日生まれ。明治10年、西南の役直前に上京し、東京帝国大学農学部<当時の駒場農学校>を卒業、埼玉県庁をへて内務省の役人を務める。明治20年,郷里鹿児島県奄美大島の...
奄美の人物あれこれ

慈愛の法学者 泉二新熊

明治大正昭和にかけて,著名な刑法学者で,最高裁判所の長官となった。泉二新熊(1876年~1947年 龍郷出身)東大卒業後、司法省に入り、1915(T4)大審院判事、36(S11)検事総長、38(S13)大審院長となる。退官後、枢密顧問官、そ...
奄美の人物あれこれ

奄美人、活躍する。

奄美出身者として、初めて日本の外交官、政治家として活躍した人西郷菊次郎 (1861-1928) 龍郷出身。 西郷菊次郎 家族写真 西郷菊次郎氏家族。大正15年の夏撮影。 あなたのお祖父さんのお父さんか、お祖父さんと同世代・同時代の人でした。...
歴史

奄美大島邪馬薹国

『縄文時代晩期に、すでに中国との交渉のあった列島の倭人国の内、漢の武帝時代に往来して、最も勢力があったと中国に認識されていたのは南西諸島、奄美大島の邪馬薹国であった。最盛期の奄美大島邪馬薹国は北九州方面まで支配下(あるいは影響化)に置いてい...